卓話 多田悦子様 WBC女子世界ミニマムチャンピオン
2012年10月10日 卓話
WBC女子世界ミニマムチャンピオン
多田悦子様
「人との繋がり」
1 、はじめに
プロボクサーの多田悦子と申します。先月9月16日に、WB A世界ミニマム級の8 度目の防衛をすることができました。
こんな私ですが、若いころは相当やんちゃでした。今の自分があるのは、人との「出会い」があり、自分を導いてくれた人たちのおかげです。私は、何事においても「人との繋がり」が一番大切だと思っています。ですから、今日はこのことをテーマにお話させていただこうと思います。
やんちゃだった私が、高校に進学し、ボクシングに出会い、プロボクサーとなるまでに、3 つの大きな出会いがありました。
2、 1つ目の出会い
中学校の生徒指導の先生との出会いです。
投げやりな態度をとっていた自分に対し真剣に私に向き合い、夜間高校に行くことを進めてくれました。とても怖い先生でしたが、サングラスをかけた目に涙が光っているのを見たとき、先生の自分に対する気持ちが胸に突き刺さりました。そして私は夜間高校である、西宮香風高校に進学しました。
3 、2つ目の出会い
西宮香風高校のボクシング部の顧問、脇浜義明先生との出会いです。不良集団に理不尽な言いがかりをつけられ、ケンカをしました。この噂を聞きつけた脇浜先生は、「ケンカするほど元気があるなら、ボクシングをやってみないか。」と、私をボクシング部に誘いました。
ボクシング=ケンカと思っていた私は、気軽な気持ちで入部しました。しかし、初めての試合に出て、私は負けてしまいました。その時初めて思ったのです。「ボクシングはケンカと違う。スポーッなんや!」と。
口だけの人間にはなりたくないと思いました。そして、1 年間必死に練習し、次の年、バンタム級で優勝しました。
脇浜先生の練習は厳しく、ミット打ちの時は皆、泣きながらミットを打っていました。先生は、手を骨折されている時でさえ、ミットを持ち続けるような先生でした。
優勝はしましたが、当時の私は決してまじめな選手ではありませんでした。仕事や遊びを優先し、練習から逃げ出すこともちょくちょくありました。そんなある日、脇浜先生がこう咳きました。「また裏切られた … 。」
この言葉を聞いたとき、私は初めて、一生懸命してくれている人を傷つけたと感じ、胸が痛みました。そして、自分のためだけでなく、自分を応援してくれている誰かのために、ボクシングを続けたいと思いました。
4、 3つ目の出会い
私が 24 歳の時、女子ボクシングが北京オリンピック種目に採用されるという話が出ました。しかし、結局、採用されませんでした。アマチュアでの目標が定まらなくなって、私はボクシングを辞めようと考えていました。
そんな時、女子プロボクシングがJBCに公認されることが決まりました。そして、現在所属しているフュチュールジムの平山靖会長に「一緒に女子プロボクシングを広めていかないか!」と誘っていただきました。ジムでトレーナーとして働きながらボクシングに集中できる環境を整えて頂き、私は京都でプロボクサーとしての一歩を踏み出しました。プロボクサー多田悦子が存在するのは、平山会長のおかげです。
5 、でこぼこな道
これまで、8 度防衛してきましたが、その道のりは平たんなものではありませんでした。でも、そんな時も自分を応援してくれている人たちがいたからこそ、私は前に進んでいくことができました。
トリニダード・トバコでの4度目の防衛の時の出会い・経験は、自分を大きく成長させました。駐在日本人の方に親身になって応援して頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。
6、人を動かすのは「心」
私は、人を動かすのは「心」だと思っています。心が伝わると、人の力は大きくなります。私は今まで、人の心に助けられ、導かれ、生きてきました。たくさんの人たちに可愛がってもらい、時には叱って頂き、今の自分がいます。一つひとつの出会いに感謝しています。そして、今度は自分が恩返しをしていく番だと思っています。今は、次の世代に繋がる道を開き、後輩たちにつなげたいという思いを持ちながら、ボクシングキャリアを続けています。
今日、ここに立って、皆さんの前でお話しさせて頂けたのは、株式会社コーニッシュの今村社長のおかげです。今村社長、ありがとうございます。そして、今村社長と出会えたのも、「縁」です。この縁に感謝し、これからも「人との繋がり」を大切に生きていきたいと思っています。本日はありがとうございました。