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2015-2016年度 活動報告

卓話「ロータリーの源流」

160120igawa2016年1月20日

卓話   「ロータリーの源流」

 

RI2660地区 地区研修委員

井川孝三氏(八尾RC)

(高田利美会員紹介)

 

 

  ロータリークラブは、1905年2月23日、鉱山技術者のガスターバス・ロアの事務所に石炭商のシルベスター・シール、洋服の仕立屋のハイラム・ショウレイ、そして弁護士のポール・ハリスの4人が集まり記念すべき第1回目の例会が開催されました。この年日露戦争がありました。ポール・ハリスは日露戦争の戦況をラジオで聞きながらロータリークラブ設立の準備をしたと聞いております。当時のシカゴは、1893年に開催されたコロンビア万国博覧会後の大不況となり多数の会社が倒産。シカゴの町は詐欺、横領、かっぱらいなどが横行し殺伐としておりました。そのような状況下でポール・ハリスは心温まるような仲間が欲しいということでロータリークラブを設立しました。当時のロータリーの目的は親睦と相互扶助でした。5人目のロータリアンは、ハリー・ラグルスという印刷屋さんでした。彼は馬車の車輪からヒントを得てロータリーのマークを考えました。また例会に歌を持ち込んだことでも有名です。翌年の1906年、ある会員がドナルド・カーターに入会を勧めました。「みんな楽しくやっているので是非入会して欲しい」と、勧めたところ「あなたがたは、確かに楽しいでしょうが、シカゴの町には多くの失業者、身体障害者といった社会的弱者がいるにも関わらず、彼らに手を差し伸べることをしないで自分達だけが楽しくしているのはエゴである。そのような仲間にはなりたくはない。」と、入会を断りました。それを聞いたポール・ハリスはクラブの目的に社会奉仕を加え、そのことを聞いたドナルド・カーターは快く入会しました。1908年ハリー・ラグルスの紹介でロータリーの発展に大きな貢献をした2人が入会しました。そのひとりは32年間事務総長としてロータリーの拡大、管理、運営に手腕を発揮したチェスレ-・ペリー。もうひとりは職業奉仕の元祖ともいうべきアーサー・シェルドンです。シェルドンはロータリーの精神骨格ともいうべきvocational serviceをロータリーに持ち込みました。その後、1917年、当時のRI会長アーチ・クランフの提案によりロータリー財団の前身のロータリー基金が設立されました。ロータリー基金が設立されたこの1917年はどのような年であったかと申し上げますと、1914年から始まった第一次世界大戦にアメリカが参戦した年です。また、メルビン・ジョーンズによってライオンズクラブが設立された年でもあります。そして、設立されたばかりのライオンズクラブは、戦争で犠牲になった人々のために大変活発に人道的支援をしました。当時のロータリアンもそのような人道的支援をしなければならないという強い思いがあったのですが、もっと大切なことは、このような戦争、紛争ができるだけ起こらないように努力すべきだと考えた。そのためには、国と国、民族と民族、お互いが理解を深めることが大切である。それには、まず教育に力を入れるべきである。教育を施すことによってお互いの理解を深め、争いを少しでも減らせるのではないかという考えに至ったのです。

  ロータリー財団は設立されたが寄付金が集まらず資金不足に悩んでおりました。そして、1947年ポール・ハリスが亡くなりました。彼は、生前「私の葬式には花は要りません。もし、花を買って下さるお金があるならば、そのお金をロータリー財団へ寄付して欲しい」と言い残していました。ロータリー財団は、彼の死を偲んでポール・ハリス記念基金を世界に呼びかけました。そして、翌年の7月までに130万ドルが、世界のロータリアンからポール・ハリス記念基金として送られてきました。そのお金をもとに、初めて18名の国際親善奨学生を派遣することができたのです。アーチ・クランフの夢がやっと叶ったのです。このプログラムが始まって70年近くなりますが、この間に派遣された国際親善奨学生は4万人を超します。これは、民間奨学制度では世界最大です。

  親睦と相互扶助で始まったロータリークラブは、ドナルド・カーターの入会をきっかけに社会奉仕、アーサー・シェルドンが入会し職業奉仕、アーチ・クランフの提案で国際奉仕にと発展したのです。

 

 

日本におけるロータリーの普及

  1917年米山梅吉は政府の財政調査団員として訪米、テキサス州ダラスで福島喜三次と運命的な出会いをする。福島はダラスRCのメンバーで米山梅吉にRCの理念を説き語った。梅吉はロータリーの理念に感動し、1920年東京ロータリークラブを設立した。初代会長には米山梅吉、幹事に福島喜三次が選出された。

   しかし、設立されたものの例会は月に一度程度しか開かれず出席率も低かったようです。せっかくできたが存続が危ぶまれていました。当時の日本を振り返ってみると長い封建鎖国の時代から明治維新を経て大正時代、大正デモクラシーと言われていましたが、それはうわべだけで組織運営、精神的にも封建的でした。そこへロータリークラブの万民平等、そして友情を重んじるクラブの運営、といった考え方が日本社会に受け入れられにくかったようです。ロータリー活動に関心が薄く、出席率も低い東京クラブがロータリーの素晴らしさを認識させることになったのは皮肉にも関東大震災であった。1923年9月1日に起こった関東大震災に対して、当時のガイ・ガンディガ-RI会長からお見舞いの電報とともに25,000ドルの義援金が送られてきた。そしてそのことが呼び水となり世界17か国、503のロータリークラブからも義援金や救援物資が届けられた。義援金総額は89,000ドルに及んだ。今のお金にすると数億円にもなる金額です。東京ロータリークラブはこの義援金を元に人道的な支援を幅広く行った。このような義援金が送られてきたことが一般の人は勿論、ロータリアンですら驚いたとともにロータリーとはなんと素晴らしい世界的な集団であるということが認知されるきっかけとなった。東京ロータリークラブの会員は奉仕の喜びを身を持って体験し、それまで月1回しか開催されなかった例会を毎週水曜日に開催することになった。そして、このことがきっかけとなり、その後の日本でのロータリークラブの発展、拡大に繋がった。

 

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