卓話「なぜロータリーの友を読むのか」
2018年9月12日
卓話「なぜロータリーの友を読むのか」
ロータリーの友地区代表委員
木村芳樹氏 (大阪南RC)
「なぜロータリーの友を読むのか」それは「ロータリーのロータリアンであるため」です。ロータリアンの資格は、ロータリアンの三大義務を守っているかどうかです。
一番目の「会費の納入」だけではクラブの会員ですが、ロータリアンではありません。
二番目の「例会への出席」だけではクラブのロータリアンでロータリーのロータリアンではありません。
では三番目の「ロータリー雑誌の購読」はどうでしょうか。「友」の横組は、『The Rotarian』の中から世界のローアリアンに向けた記事の日本語訳が掲載されており、縦組には日本国内のロータリークラブに関連した記事が記載されています。「友」を読むことにより、日本、世界のロータリアンと情報を同時に共有することができます。これではじめてロータリーのロータリアンになります。
1905年2月23日、たった4人ではじまったクラブはラグルスをはじめ多くの会員が入会し、どんどん大きくなり、2年後の1907年、ポールがシカゴクラブ会長になったとき、他都市にも同様のクラブを作ろうとし、次々と新しいクラブができました。
この拡大を始めた1907年から10年にかけロータリー最初の危機が起こりました。シカゴクラブ内は、ポールたち奉仕派と、ラグルスたち親睦派に分裂し、混乱が起きたのです。「奉仕か、親睦か」
1910年には16クラブになり、第1回ロータリークラブ連合会大会開催、初代会長はポール・ハリス。この連合会設立は「奉仕か、親睦か」の混乱を鎮める意味合いもあり、クラブは親睦を連合会は奉仕をとリまとめるということで収拾をはかろうとしました。このシカゴ大会の終わった1910年末にポールは一つのエッセイを書きました。
ポールは、1907年から、親睦団体であるクラブの中に奉仕という概念を入れようとしました。しかしロータリーにおける親睦と奉仕とを上下の関係において捉えたことは誤りである、「ロータリーとは寛容である。親睦も大切だが、奉仕も大切。奉仕も大切だが、親睦も大切。」
こうしてロータリー情報を共有しようと1911年1月25日にポール・ハリスのエッセイが掲載された機関紙「ザ・ナショナルロータリアン」創刊。これが全世界のロータリアンのコミュニケーションの場であるロータリー雑誌の始まりで、ポール・ハリスの『合理的ロータリアニズム』がこの雑誌を生んだといえます。
戦後1949年、日本のRCはRI第60区として復帰。1952年4月に大阪市の中央公会堂で第60区最後の大会が開催。この地区大会で、二地区になってからも連絡を緊密にするための日本語による共通の機関紙創刊を企画。第1回準備会が大阪、1952年8月岐阜の第2回準備会で名称は『ロータリーの友』、横書きで創刊は1953 年1月とする等、骨子がきまりました。これが『ロータリーの友』の始まりです。
最初は自由購読で定価50円。当時は英和辞書を片手に英文の『ザ・ロータリアン』を購読していた会員が多く、多くの売れ残りが発生。その後京都で開かれたロータリー50周年第60・61区地区連合大会で完全購読制が決議。1972年1月から縦組と横組に分けた現在の形に。友の定価は1975年1月号に200円となり現在まで続いています。1980年7月にRI公式地域雑誌に指定。