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2015-2016年度 活動報告

卓話

151028恩田様50

 

2015年10月21日

 

10月の「経済と地域社会の発展月間」にちなみ、天神橋商店街を中心とした天満界隈の地域活性化の役割を担った繁昌亭の視察と繁昌亭支配人の卓話から大阪の文化である笑いと寄席のもつ社会性を学ぶ

 

天満天神繁昌亭

支配人   恩田雅和氏

 

 

 天満天神繁昌亭は、2006年9月15日に開席して、今年の9月15日で9周年。 10年目から若干の料金改定を行い、その影響がみられた時もありましたが、今週などは本日も含め、「大入り」となりました。 本日ご覧頂いた昼席は週替り興行です。月曜に始まって、日曜に終わる。年中無休の興行。いつ行っても落語が聴ける。これを「定席」といいます。その定席がここ大阪の地には約60年ありませんでした。

 一方、東京には定席が4軒、上野、浅草、新宿、池袋といった繁華街にあります。人が寄せ集まるところにできるので「寄席」と言われる所以です。他に落語が聴ける場所として、国立演芸場があります。但し、ここは年中無休興行ではないので、定席とは言いません。

 60年ぶりに大阪の地に「繁昌亭」という定席ができたことで、若い入門志願者も増えまして、上方の落語家は、現在約250人います。 東京はその倍の500人です。

 日本ではこのように750-800人くらいの落語家が現在いるわけですが、それでも明治、大正の頃に比べると、落語家の数は随分減少しています。放っておけば、落語という芸も滅ぶのでないかという危機意識を落語家も持っています。」

 特に敗戦後は上方の落語家が激減して、絶滅したといわれるくらい落語家の数が少なくなりました。ちょうどそのころ、桂米朝、笑福亭松鶴、桂文枝、桂春団治の4人が、昭和21年から22年にかけて入門して、その後この4人が結束して、絶滅寸前の上方落語を守り、盛り上げて現在に至っています。この4人を称して、「上方落語四天王」と呼んでいます。

 昼席と夜席の大きな違いは、夜席は独演会、一門会など企画もので、かかる演目がスケジュールで事前に決まっています。一方、昼席の演目は当日までわかりません。なぜなら毎日お客さんが違うので、毎日やるネタもそれにあわせて変わるからです。その日のお客さんの顔ぶれ、客層の雰囲気をみて、落語家は判断し、かけるネタを決める。これが昼席の大きな特徴です。

 落語と落語の間にやる奇術、音曲、落語家の裏芸など、落語以外の芸を「色物」といいます。看板や楽屋のネタ帳も、落語家は黒い墨で書かれるのに対して、色物の芸人さんは 赤い墨で名前が書かれるため、そう呼ばれる所以です。基本、色物のかたが出演するのは昼席だけです。昼席には落語の間に2本入ります。落語に集中したお客さんの耳を休めるため、次の落語(中トリ)に集中してもらう、中入り後のざわざわした空気を和ませるための役割があります。

 そのあと、トリの2つ前を「シバリ」といいます。お客さんを縛りつける役割からの呼び名でしょう。そしてトリの前は「モタレ」と呼びます。次のトリの落語にお客さんが集中できるように、目立たぬようさらっと上がる役割があります。このように昼席は、ひとりひとりが芸をやっているように見えますが、実は最初から最後までの流れをお客さんに満足してらうように、こうしたチームプレイで成り立っています。

 天満天神繁昌亭は、大阪唯一の定席なので、是非これからも足を運んで頂きたいと思います。

 

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